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こんにちは~

 投稿者:Ziro  投稿日:2015年 9月 3日(木)23時13分31秒 db761b5f.tcat.ne.jp
  BBSもあるんですね。
ヒダくんのいろいろな情報が入っているホームページですね。
 

ソロライブ

 投稿者:ラールカマラ萩平  投稿日:2015年 3月30日(月)16時26分54秒 110-132-191-193.rev.home.ne.jp
  パペットハウス20周年お祝いソロライブ、素敵でした。積み木やスカーフ、ロープなど、モノに命を感じる不思議。洗練された小さな舞台上で、生き生きと動くモノたちの息遣いが聞こえるようでした。人形に名前をつけないというお話に共感しました。鉄のマリオネットの再演も是非実現してください。贅沢なひとときをありがとうございました!  

ありがとうございました!!

 投稿者:ラールカマラ萩平  投稿日:2014年12月 5日(金)21時19分38秒 110-132-191-193.rev.home.ne.jp
  お忙しい中、お越しくださってありがとうございました。塾での学びが今につながっていることに感謝いたします。応援に来てくれたお客様と、力を貸してくれた仲間、生徒さん、みんなで作り上げた素晴らしい時間になりました。先生のクリスマスキューピー人形を、また拝見したいです。あんなに素敵な作品は見たことがありません。いつか、クリスマスステンドグラスとコラボしていただけることを夢見ています!  

マリオネット・シアター

 投稿者:ヒダオサム  投稿日:2014年12月 1日(月)23時00分13秒 p4146-ipbf2102souka.saitama.ocn.ne.jp
  マリオネット塾を卒業したラールカマラ萩平さんが開いたマリオネットの教室の発表会が小平のギャラリー青らんぎで開催された。ゆきのと二人で見てきた。すばらしい感動的なものだった。おなじく塾生だったYさんご家族ともあう事ができた。鎌倉の工藤さんもマリオネットの作家としてがんばっている。ほかの卒業生たちもがんばっている事だろう。塾長のわたしが、停滞しているのはほんとうに申し訳ない気持ちがする。ことばがでてこない。  

猫のケガ

 投稿者:ヒダオサム  投稿日:2014年 7月31日(木)22時13分42秒 p4146-ipbf2102souka.saitama.ocn.ne.jp
編集済
  10日まえに我が家の愛猫ヒナが野良猫とけんかで頬骨のあたりとシッポの付け根のあたりにケガをしてかえってきた。メス猫で小型なわりには、喧嘩早くて、どんな大きな相手にも突撃していく性格のヒナちゃん、はじめての敗戦だったみたい。ケガの痛みと敗戦のショックでどこかに隠れてしばらく出てこなくなっちゃった。ホオっておいたのだが、だんだんひどく腫れてきて病院で診てもらった。きずが目の近くなので、かなり危険な状態という診断で、点滴と化膿止めの注射に毎日通う羽目になってしまった。今日になって峠をやっと越えて明日から飲み薬だけでよいでしょうということになった。ストローと竹串でピストンを作って、のどの奥に投薬するのだが、結構うまくいくようだ。やれやれ。心配なことです。  

いのちをつたえる紙遊び

 投稿者:ヒダオサム  投稿日:2014年 7月25日(金)23時07分39秒 p4146-ipbf2102souka.saitama.ocn.ne.jp
  「いのち」と「かたち」
 二つの言葉を結びつけて考えると、意味の深くなる言葉があります。
 たとえば、「自立」と「共生」。ひとり立ちする事、共に生きる事、一見、相反する言葉のように感じられますが、ひとりひとりの自立なくして、共生はありえませんし、共生あっての自立こそが、真の自立と言えるでしょう。人間は、一人では生きられないのです。
 造形に、この「自立」と「共生」をあてはめて考えると、「自立」とは、自分のイメージを創作(クリエイション)できる事であり、「共生」とは、イメージを友達や、先生と、共有したり、やりとりして、共につくったり、遊んだりする事だと思います。
 同じような言葉に、「いのち」と「かたち」があります。「造形」という文字は、「かたち」を造ると書きますが、「かたち」を造る以前に、「いのち」を造る段階がある事を、知ってほしいと思います。
 「いのち」と「かたち」は、にわとりと、たまごのように、どちらが先とは簡単にきめられない、一対の言葉なのです。「いのち」あってこその「かたち」だし、「かたち」なくしては「いのち」も考えにくいものなのです。
 子ども達が、紙のうえに、クレヨンで描いているのは、「かたち」を通して、「いのち」を描いているのだという認識が、必要だと思います。
 幼児の絵画の発達段階は、(A)なぐり描きの時期(B)閉じた丸を描けるようになって、何でも、この丸で表現しようとする時期(C)手足が、頭から直接出てくる、頭足人の時期(D)胴体を表現した、ひとがたが描ける時期、というように発達していきます。(C)を通らずに(D)になるという事はないと、いわれています。これは、子どもが視覚的な「人」の「かたち」を表現しているのではなく、人の存在、つまりは「いのち」を表現しているからだと考えても、よいのではないでしょうか。
 単に視覚的な「かたち」にとらわれて、巧拙を判断したり、また共感する事を忘れて、造形を考えると、この「いのち」の創造という、もっともたいせつな、子どもの心の営みを、見逃すことになります。
「創造力」と「想像力」
「いのち」と「かたち」に呼応する言葉として、「創造」(クリエイション)と、「想像」(イマジネーション)という、二つの言葉があります。どちらも、幼児の造形において、大切な営みです。
 子どもたちは、紙や、ねんどや、クレヨンの線や、空き箱などに、いのちを与え、遊びの中で、その子なりのかたちを生み出し、天地創造をしているのだ、という認識が大事だと思います。
 子どもの創造の意欲をひきだす為には、先生も、創造の意欲をもつことが大事だと思います。子どもだけにやらせようとしても、うまくいきません。先生がいっしょになって「こんなものが生まれたよ。」「これは何のかたちかな?」「じゃあ、これ何に見える?」と次から次へと、「いのち」や、「かたち」を、生み出していくと、よいとおもいます。
 わくわくさんや、のっぽさんが、見事につくっているのを見るのは、気持ちがいいものですね。先生も、同じだとおもいます。先生が、見事に作って見せると、「わあ、先生って、かっこいい!」「先生ってすごいんだな!」「先生みたいに、作れるようになりたい!」という意欲がわきます。それはとても強いものだとおもいます。目のまえで、たとえば、ただの紙切れがバナナになって、そのバナナが「いないいないばあ!」までしてみせたら、子ども達はきっと、目を輝かせて驚くことでしょう。
このような、「いのち」が生まれる場面を、たくさん見せてあげられたら 素敵だとおもいます。ちいさいころに、ものをつくるよろこび、うみだすよろこび、そして、つくったものであそぶ喜びを知る事が、大切だとおもいます。自分で、いろんなキャラクター(分身)をこしらえて、それに愛情を持って、そのいろんな役割を遊び込んでいく。そういう自在感を経験することが、自信につながるんですね。そして、その遊びを父母や、先生や、ともだちと共感できたよろこびが、やがて、その子がこの世界とつながりをもって、自立して生きていく助けになるでしょう。そして、人への思いやりをイメージできる「想像力」や、いのちを慈しむ心、ものを大切にする心である真の「創造力」を育むのだと、私は思います。
 

今夏は

 投稿者:ヒダオサム  投稿日:2014年 7月21日(月)20時07分0秒 p4146-ipbf2102souka.saitama.ocn.ne.jp
編集済
  新潟、横浜、丸亀、世田谷に紙あそび、粘土あそび、の実技研修会によばれています。すこしずつ内容も違うので材料の手配がたいへんです。でも、ひとりの先生のうしろには、何十人ものこどもたちがいますので、やりがいのある仕事です。だれに教わった訳でもないヒダオサムのオリジナルメソッド、造形のココロを伝導していきたいと思っています。明日は新潟、いってきまーす。  

つくったものを大切にするということ

 投稿者:ヒダオサム  投稿日:2014年 7月13日(日)21時14分50秒 p4146-ipbf2102souka.saitama.ocn.ne.jp
   作ったものにいのちを吹き込み、あそぶこと、こわれたらなおし、またあそぶ、あそびは変化してゆく、それにあわせて、又作り、どんどん変化していく、そのプロセスが楽しい。とっておけるものは少ない。どんどん成長していく。記録していくことはむずかしいが、そのひとつひとつが、その時々のたからもの。  

ふしぎ工作本

 投稿者:ヒダオサム  投稿日:2014年 5月25日(日)21時23分30秒 p4146-ipbf2102souka.saitama.ocn.ne.jp
編集済
  一年がかりで作った本が、ようやく完成。わくわくさん健在です。
 

「できるかな」「つくってあそぼ」

 投稿者:ヒダオサム  投稿日:2014年 5月17日(土)21時49分33秒 p4146-ipbf2102souka.saitama.ocn.ne.jp
編集済
  「できるかな」が終了して24年、「つくってあそぼ」の放送が終了して、1年半がたとうとしている。にもかかわらず、のっぽさんフリークはいまだに健在だし、わくわくさんも、工作のヒーローとして、ひっぱりだこで全国のステージに呼ばれている。このふたつの番組がどんなものだったのか、わたしなりに、少しずつ整理しておきたいと思っている。

単なる手作りおもちゃ工作のアイデアやつくりかた紹介の番組であったなら、「できるかな」「つくってあそぼ」はこれほど視聴者のハートを掴まなかったにちがいない。単に作るだけでなく、 つくったものの世界であそぶエンターテイメント性を重視していたからこそ、こどもたちに受け入れられたと言って良いだろう。 おとなからみれば紙くずのように見えるものでも、子どもにとっては、苦労して作った大切な、世界でたったひとつの宝物である。作品に子どもが愛着をもち、大切に思う事は当然のことだろう。愛情をこめて、一生懸命つくり、いのちをふきこみ、世界を創造し、その中で、心ゆくまであそぶ。 作品は子どもの分身、子どもそのものといってもよい。その作品を生かし、その作品のイメージを認め、共有し、遊び込む事は、こどもそのものを生かし、大切に扱う事と同義といってよいだろう。それは、やがては、他者の存在をも認め、大切にする事にも繋がるだろう。また、いのちを慈しみ、モノを大切にすることへも繋がっていくだろう。番組のなかで、作られたもののファンタジー、物語りをごっこあそびやゲームあそびを通して、たいせつに展開し、扱う事は、見ている子供たちには、おおきな安心と、いやしを与えてきたのに違いない。誰しも、あんな風に大切にされたい、誰しも、あんな風に遊んでみたいと、共感を得てきたに違いない。そのような、作品を通して、世界をたのしみ、「愛する」事が2つの番組に通底していた水脈とみてよいと思う。
 実際に番組で作られたものは、もちろん、じっさいの子どもが作ったものではない、それは、美大で美術を学んだ美術家が、「子どもの気持ちになって」作ったものである。愛情をこめて、一生懸命つくり、いのちをふきこみ、世界を創造し、遊びゴコロをふくらませてきたものである。その作品に対する思いは、じっさいの子どもと変わる事はないと思う。そのココロは、造形チームに継承されてきた遊びココロであり、夢そのものだったのではないだろうか。これらの造形番組が、幼年期の原体験として日本のものつくりにあたえてきた影響の大きさは、計り知れないものがあると思う。

 

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